【読了記録】義経 /司馬遼太郎(幸せって何だろう…)
どうも、さっさです。
今回は司馬遼太郎の小説「義経」読了記録。
中2国語(光村図書)で学ぶ「平家物語」「扇の的」の副読本として紹介されています。
大まかなあらすじ
みなもとのよしつね――その名はつねに悲劇的な響きで語られる。源氏の棟梁の子に生まれながら、鞍馬山に預けられ、その後、関東奥羽を転々とした暗い少年時代……幾多の輝かしい武功をたて、突如英雄の座に駆け昇りはしたものの兄の頼朝に逐われて非業の最期を迎えてしまう。数奇なその生涯を生々と描き出した傑作長篇小説。
Amazon作品紹介ページより
源頼朝の弟である義経。政治的手腕はないものの、戦うことが上手。京に入ってからは後白河法皇に気に入られて(利用されて?)あっという間に栄華を極めますが、頼朝に最後まで気に入られておらず、自害に追い込まれます。
中学校の歴史では、「1167年、平清盛が太政大臣になる」「1185年壇ノ浦の戦い」と習います。
「義経」という作品はこの間の話です。
残念ながら中学校の社会では出てこないので、テストでは1点にもなりません。高校の日本史にはテストに登場することが出てくるので、歴史好きなら読む価値はあります。
平氏(兵庫の福原)、朝廷(京都)、源氏(関東)、藤原氏(奥州)。当時の権力者とその支配地域です。
平氏と源氏は武士ですから、武力で衝突します。
朝廷の中心人物は後白河法皇。武力はありませんが、権力と優れた人間洞察力があります。法皇が出す宣言は「院宣」と言って、絶対の効力を持つものでした。法皇は「院宣」を利用したり、手柄を立てた者に官位を与えたりして、平氏や源氏をうまく調節します。
奥州藤原氏は、いっとき義経を保護します。後に頼朝が京攻めをしようものなら、背後から関東を狙うつもり、といった感じで、頼朝の行動のブレーキの役割をします。
歴史的には結局、源頼朝が征夷大将軍になります。
そこに至るまでの人間模様がとにかく面白い。現代の学校や会社などの組織内での人間関係と同じです。それぞれの事情や欲があって動いているのは、今も昔も一緒。
また、いつもながら膨大な資料の分析から作り上げられた司馬ワールドに引き込まれること間違いなしです。
この本から学べること
・那須与一は屋島の戦いに出てきません。
中2国語の教科書の「扇の的」では、見事に扇を射抜く与一。
ですが、『義経』ではその場面が描かれません。
義経が奥州に逃れる場面で、途中福島県を通るのですが、その時に有力者の那須家に泊まって与一と会います。これだけです。
ちなみに与一は那須家で11人目の子供。11人の母親は全員違う女です。中でも与一の母親は身分が低く、与一自身も兄たちからからかわれてあまり良い生活ができませんでした。
与一の母親は「与一を連れて行ってください」と義経に言いますが、義経は断ります。それきり与一は登場しないのです。
参考になるのは、射抜かれた扇のこと。
もともと朝廷から平家に贈られた30本の扇がありました。そのうちの1つだったのです。
平家としては、戦の勝敗を占うつもりで、船の上に扇を置いたそうです。源氏の者に射抜かれてしまえば、自分たちの勝利はないということです。
・後白河法皇の人間力。
法皇には武力はありませんでしたが、人を見抜く力がありました。
見込みがありそうな者には「官位」を与え、朝廷の人間にしてしまうのです。
誰でも認められて出世できれば嬉しいもの。
朝廷内では戦功をあげた者に官位を与えて武将を喜ばせ、後に滅ぼすことを「位打ち」と呼んでいます。
平清盛には「太政大臣」、源義経には「従五位下」という感じで、地方の武士に朝廷内での役割を与えることで、彼らを喜ばせたのです。
・源頼朝の動き。
頼朝は関東を支配していました。
隙を見て京の朝廷や西国の平氏を滅ぼしたかったのですが、京では飢饉が発生していました。
これでは仮に頼朝の軍が出陣しても、京で食料がないので、兵たちが生きていけません。
また、下手に出陣すると奥州から藤原氏が攻めてくるのではないか、という不安がありなかなか動くことができませんでした。
法皇に助けを求められて、やっと京へ軍を派遣します。
・源頼朝にとっては憎い義経。
義経は戦の天才と言っていい人物でした。
本人も手柄を上げれば兄(頼朝)が喜ぶであろう、と頑張って戦いました。
ところが頼朝は、義経は自分より大きな男になる、とその力を認めていて、義経がいくら頑張ってもほめることがありませんでした。
あくまで自分が鎌倉でトップの人物でいたかったのです。
まとめ
いかがでしたか?
教科書だけでは分からないことを学べるのはありがたいですね。
興味が深まります。
それでは、また。