方丈記/鴨長明(古典はちょっと…と避けていてはもったいない。)
どうも、さっさです。
今回は鴨長明の「方丈記」読了記録。
名作です。
ん?なんか聞いたことある。「方丈記」って?
中学校の社会でやります。
歴史で鎌倉時代の文化に触れるところ。
東大寺南大門にある金剛力士像とか、法然が浄土宗で、親鸞が浄土真宗で…など鎌倉新仏教と呼ばれるものも一緒に習います。
高校で日本史を履修していれば、またその時に習います。
ところが、中身がどういう話なのかということを知っている人は、多くないはずです。
鴨長明は元々、神職の家柄。
和歌と琵琶は神レベルに達していて、後鳥羽上皇に新古今和歌集の和歌選びの担当を任されるほどであったといいます。
後鳥羽院の推薦もあり、父親と同じく神職の地位を得ようとしますが、親族の妨害に遭ってしまいます。その時に人間に失望したのか、50歳で出家。京都日野山に簡素な住宅を建てて住みます。過去の災害や人災を振り返りながら、10歳の少年と散歩したり、歌や楽器で余生を過ごすことになるのです。
この作品のポイント
・出家したけど、人の世にうじうじ悩むところに人間らしさがある。
豪華な家を建てていったい何になるのか。
豪華な衣服を身につけて、いったい何になるのか。
ひとたび地震や火災、竜巻が発生すれば、家屋は一瞬で壊れ、みんな同じように薪を売って過ごしている。
長明はこんな状況から、人の目を気にして自分を飾ることの愚かさを説いています。
出家したら、最強メンタルの人になるイメージがありますが、長明はそんな感じがしません。
現代でいえば、大きな家に住んで、いい車に乗って、ブランド物を身につけて、最新型のiPhoneを持ち歩くということが、いったい何になるのか。というところでしょうか。
例えばどれだけ働いてもお金がないとか、どこか満たされないということであれば、出費と見栄のバランスを見直すいい機会になるかもしれませんね。
・物的な豊かさに警鐘を鳴らす。
飢饉があれば、さまざまな家財を片っ端から捨てるかのように売り払って、食料に変えるようになる。
そんな状況で家財道具に目を止める人はいない。
食べられない金よりも、粟などの食料の方が高くつく。
いつまでも世間体を取りつくろってはいられないのだ。
薪を売るものの中には、古い寺に侵入して仏像や仏具を盗み出して破壊するものもあった。
そのうち疫病まで加わって、事態は悪くなる一方だった…(引用終わり)
危機的状況での振る舞いを考えると、日常での豊かさが一変します。
どうせ儚く消えていって、ずっとそこにありはしないのだから、いい物を求めるというのはどうなんだろうかと、考えさせられます。
・人の悩みは800年前も同じ。
権勢のある者は欲深くて、心が満たされるということがない。誰とも関わらない孤独な者は、後ろ盾がないことから軽んじられる。財産があれば心配が多くなるし、貧乏なら悔しさや恨みの気持ちが去らない。人を養い育てると、自分の心が愛情に振り回されてしまう。世間の常識に従えば、苦しくなる。従わなければ、まともではないと思われてしまう。
本書より
どんな場に身をおいて、どんなことをして生きれば、しばらくの間だけでも、この身とこの心を安らかにさせておくことができるだろうか。
うーん、ズバッときましたね。その通り。
この部分は一番グッときました。
どんな状況の人でも悩んでいます。
学生であれば自分の見た目や成績。
社会人であれば、家や車、衣服や結婚相手や子供の状況。
どんなにいい状況でも欲にはキリがありません。
解決するには、期待しない、求めない、最初から何も持たない、というのがポイントでしょうね。
ただ日本では隣人との距離が近く、見た目もあんまり変わらないので、いやでも比較して落ち込んでしまう傾向があります。悩ましいですね。
まとめ
いかがでしたか?
今回は鴨長明の「方丈記」の読了記録でした。
昔の人も同じように悩みや不安があったのだと分かると、古典や歴史が急に身近に感じられますね。
読めば心がスッキリします。
「物的な豊かさ」っていったいなんなんだ?って考え直せば、出費が減るきっかけになるかもしれませんね。
それでは、また。