【エッセー】実際に気持ちが楽になった考え方
どうも、さっさです。
今回は「実際に気持ちが楽になった考え方」をお伝えします。
他人と比べるのをやめる。
人より良い。だから何なのか?
人より悪い。だから何なのか?
よく考えると言葉に詰まってしまうことに気がつきました。
会社では、同期の中で誰が早く出世するか、誰が早く結婚するか、誰が早く稼ぐか、というレースにいつの間にか参加させられます。それぞれで1番早い人と遅い人で、何か違いってありますかね?僕的には無いです。
他人への判断をやめる。
頭がいい。面白い。運動ができる。かっこいい。かわいい。お金持ち。
他人への判断をするときには、良いところしか見えないものです。そしてそれは、たいてい自分には無いもの。
多くの人は自分には無いものを追い求めて、ストレスを抱え続けます。
だったらその判断、やめてみませんか?
そもそも他人を同じ人間だと思ってはいけません。同じように顔や手足がついているからといって、自分の方が劣っていて悔しい、自分もいつか同じようにできるはず、という思考をやめるのです。
勉強ができる人や、会社で実績を出す人の真似ってなかなかできないですよね。もう「別の生き物だ」くらいに割り切ってしまうのです。
「誰かに認められたい」という思考を捨てる。
世の中には自分を認めてくれている人と、認めてくれていない人にそもそも別れています。
認めてくれていない人が、ある日、急に認めてくれることはまずありません。
悲しいですが、認めてくれていた人に見損なわれることはありますけどね。
例えば先生や上司で相性の悪さを感じたら、僕は改善をあきらめます。若い頃は「どうしたらうまくやり取りができるんだ」と、もがいていました。でも、そんなことははなから無理なのだと、もっと早く気付くべきでした。
「過去の後悔」と「未来への不安」を捨てる。
自分の力の影響が及ばないことと、考えてもどうにもならないことは考えるのをやめていいです。
その代表的なものが「過去の後悔」と「未来への不安」です。
「過去」は変えられません。同じ過ちは繰り返さないという決心ができたら、もう忘れることです。大丈夫です。他人はあなたのことを信じられないくらい見ていませんから。
「未来への不安」も、別に今は考えなくてもいいです。中学校では、生徒がゴーグルや手袋をして、高齢者の身体機能の衰えを体験する授業があります。でも、なかなか自分のこととして考えることはできません。
今の仕事でこのまま定年までやっていけるか?
以前はたまに考えていましたけど、やめました。すぐにはどうにもならないからです。名誉とお金はもうどうでもいいので、出世や昇給にも興味がありません。学習塾が無くなるということはしばらくありませんから、仕事は探せばいくらでも見つかると思います。
それよりも集中すべきは「今」です。
今、自分にできること。これを淡々とやっていくだけです。
「お金」と「物」への執着を捨てる。
お金はいくらあってもキリがありません。物も同じで、高級品やコレクションにもキリがありません。こだわって集め始めると、次から次へ新たな欲望に支配されてしまいます。
スマホゲームのガチャも同じです。キャラ集めと育成はキリがありません。最初は楽しかったけど、途中から義務感が出てきてしまうことがあります。ちょっとでもそうなったら、もうやめてOKです。時間の無駄です。
いくら達成してもキリがないこと。これが僕には「お金」と「物」への執着です。だから捨てることにしました。
高級車に乗って、良い身なりで生活している人は、元々資産家であるか、マグレで何か1発当てたか、経営者が税金対策で購入しているか。たいていどれかです。僕みたいに一般家庭に育った人には縁のないことなので、例えばメルセデスベンツとすれ違っても、何も思わないことです。
そもそも衣食住が整っていれば、あとのことは全部贅沢です。着る服があって、食べるものがあって、寝るところがある。これで良いじゃないですか。これ以上、何を望むんですか。
まとめ
いかがでしたか?
僕は2022年5月で40歳。
今40歳を目前にして、思考の断捨離を進めています。
不安や悩みを解決するときに大事なのは、「何をするか」よりも「何をしないか」。
そう気が付いてから、人生が豊かになりました。
今、自分ができることに集中する。それ以外のことは考えもしない。
この境地に行けたら、きっと楽に生きられます。
ちなみに、参考文献はこちら。
セネカ「人生の短さについて」
鴨長明「方丈記」
マルクス・アウレリウス「自省録」