【エッセー】量と早さへのこだわりをやめたら楽になった。
読書の話です。
「たくさんの本を読んでいること」「早く本を読むこと」
それが一体何なのですか?
大事なのは読んで何を得たか。どんな自己成長や他者貢献ができたか、ということです。
話題の本を読んでいる、というステータスを早く手に入れたい時期があります。例えば「このミス」1位の作品を既に読んでいる。芥川賞の本を既に読んでいる。こんな自分を早く手に入れたい。仕方ありません。でも、落ち着いて考えてみると、それはアホらしいことと気が付きます。
大事なのは、読んだことで何を思ったのか。何を語れるのか。
「読んだ」ということしか残っていないのであれば、読書なんてやめるべきです。お金と時間の無駄ですから。
読書は、映画やドラマと違って「一時停止」ができます。気になったところ、自身を振り返るきっかけのところは小説でも立ち止まって考えたり調べたりします。
そうやって、1冊の本から自分の人生と向き合う時間が貴重です。それが読書の醍醐味と言えます。
そもそも量と早さは、自分よりも優れている人が必ずいます。張り合おうとするだけ無駄です。
仮に読書量ランキング1位になったとします。
でも大変なのは、そこから。
1位をキープするためにいろんなことを犠牲にして読書を継続しなければなりません。
これは仕事でも言えることです。以前サンドイッチマンの伊達さんが「M -1で1位なんて取るものじゃありません」と言っていました。優勝した途端に寝られないくらい忙しくなってしまったからです。M-1チャンピオンとしての振る舞いが今後ずっと求められるのも、なかなかの苦痛です。
1位を目指す。
上位を目指す。
人よりも良い自分を目指すのが、いいことだと信じていたはず。
それなのに達成した途端、その勝利は試練に逆戻りしてしまう現実があるのです。
であれば、自分ができる範囲で無理なく続ける。
これが最強だと気がつきます。
無理なく続けた結果、たまたま周りより量が多い。たまたま周りより早い。そういうことなら何も負担にはなりません。
でも量と早さが目的になってしまったら、何も楽しめなくなってしまいます。
人の話やSNSでの華やかな内容は無視です。
自分の人生には何も関係ありません。
怖いのは、いつの間にか量と早さを競うレースに参加させられていること。
何時間勉強した。1日で問題集を終わらせた。
何時間残業した。10分でタスクが終わった。
何冊読んだ。文庫本を1冊2時間で読んだ。
他人のこんな話を聞いて、「自分も負けていられない」と思ってしまっていませんか。
知らない間に無理をさせられているなら、ちょっと立ち止まって考えてみましょう。
それが一体何なのですか?