「50代でしなければならない55のこと」[中谷彰宏](定年後じゃなくて、今しよう。)
どうも、さっさです。
今回は中谷彰宏の「50代でしなければならない55のこと」
読んだきっかけ
学生の頃に、どうして大人って退屈そうに生きているんだろう?と思っていました。
電車でスーツ姿の人たちを眺めていると、ただ単に時間が過ぎていくのを待っているような感じがしていました。まるで死ねないから仕方なく生きているような感じ。
「ああいう風にはなりたくない」と思い、時がたって38歳になりました。
実際に歳を重ねてみて、あの頃退屈そうにしていたサラリーマンの気持ちが少し分かりました。
確かに自分の会社での能力の限界や、たいして変わらない収入を考えたり、もう何かに燃えるということがほとんどありません。
それでも!
なんか熱く生きたいじゃないですか。
社会人1年目の時、父親が55歳で亡くなりました。癌でした。また、物心ついた時には、父方の祖父は既に他界していました。となると、僕もそう長くは生きられないような気がしています。
残りの人生を少しでも熱く生きたい。そう思って、心の師匠である中谷さんの本を買いました。
この本から学べること。
日本人の幸福度の調査で、幸福感が最も下がるのは50代。
定年が間近になったり、子供が独立したり、離婚が増えるのが原因として多いようです。
問題はこの後。60代、70代に向けて幸福度が上がっていく人と、下がっていく人に分かれます。
50代は長い人生における分岐点。50代の生き方で、その後の人生が決まります。
「何を持つか」から、「どういうタイプの人間か」へ。
40代までは、その人が何を持っているかで評価が決まります。
50代以降は、何を持っているかではなく、その人がどういう生き方をしているか、どういうタイプの人間かということが、問われます。
サルは、どれだけの子分がいるかや、どれだけの体格をしているか、という持ち物にこだわる生き方をしています。
オオカミは、自分がどういうタイプかにこだわります。例えば、ピンチの時はどういう振る舞いをするのか、何を大切にして生きていくか、ということです。
オオカミ型の人間は、何を持っているかということは一切関係ありません。
何を持っているから偉いとかカッコいいという時代から、どういうタイプの人間かが問われる時代になります。
所有にしがみつかないことです。
問題を解決しない。問題が平気になって、凌駕する。
若い頃は、問題はたくさんあるけど、年齢を重ねると問題は無くなっていくと思っている人、いますよね。ところが問題は無くならないどころか、難しくなるのです。
経験を積んでも、なかなか解決できない問題が50代からは増えてきます。
難しい問題が起こったら、平気になることです。問題を解決するよりも、「それはそれでいいんです」と問題を凌駕する度胸をつけるのです。
解決できるものはして、できないものは笑い飛ばせる凌駕力をつければいいのです。
負けるのは、カッコ悪くない。トライしないのが、カッコ悪い。
20代の頃は、実力もないし、相手の力量も分からないので、たくさん負けます。
50代になると、相手の力量が分かって、器用さも身についているので、負けることが減ります。
でもそれは、カッコ悪い生き方です。
カッコいいのは、負けることにトライすることです。
最初から舞えると分かっていてもトライしていけることが、本当のかっこよさです。
仕事・趣味・恋愛、どんなジャンルでもOKです。
今までの正しいを捨てる。
新しく物事を始めるときは、今までの正しいを捨てる潔さが大切です。
水泳の世界では4年に1回、前の考え方が逆転すると言われています。オリンピックごとに、前のやり方が間違っていたということが出てくるのです。
50代は、自己流を捨てて新しいことを先生に学ぶことができるかどうかで差がついてくるのです。
「しなければならないこと」から、「したいこと」へ。
40代までは「しなければならないこと」で生きてきました。
50代は、「したいこと」をしていけばいいのです。
「幸せでなくてもいいからやる」というのが本当の「したいこと」です。
好きなことをやりながら、なおかつ社会的成功も得ようと思うと、しなければならないことに陥ってしまいます。
したいことをする人は、社会的成功より、自分のしたいことを優先します。
なんとなくしたいことがあっても、出世やお金を選んでしまうのは、まだ「したいこと」とは言えないのです。