【エッセー】読書の意味とは?(意味はあります)
どうも、さっさです。
今回は「読書の意味とは?」
年間50冊以上読む者が、読書の意味を語ります。
結論、意味はあります。
・情報や知識を得る。
学生だったら勉強の仕方や将来のことに悩んだり、社会人だったら職場や顧客との人間関係に悩んだり、年齢を重ねれば自分の健康やお金のこと、我が子のことに悩んだりします。
悩んだ時に最も安く、効果的な情報を得られるのが本です。
ネットでは発信者の正体が分からないことがあるので、うかつに信用してはいけません。そもそもネットに載っている情報のほとんどは、消費者を不安にさせて商品を買わせるために誘導すべく書かれていることが大半です(テレビも同じですが)。ネットはそもそも本当に必要な時以外は見ないのがいいです(テレビもです)。
僕が一番に勧めるのは樺沢紫苑の本です。
精神科医が唱える人間のあれこれは、とても参考になります。「うまく生きるコツ」ということだったら、年齢性別を問わず、樺沢さんの本を数冊読むだけで十分です。以前は大企業の創始者や偉人の本も読みました。しかし、そういった人たちは元々のスペックや環境が違うから参考にならないというのが、読んだ後にわいてくる本音です。家系図をたどれば名家や金持ちだったりすることがほとんどです。
樺沢さんの本には脳や体のメカニズムを元にした内容が書かれています。医学的な根拠があるので、誰が読んでも参考になります。
小説からも知識が得られます。
僕は東野圭吾の作品を70冊読み終えました。
たくさんの本を読んだことで例えば殺人の動機(復讐、金、恋愛、突発的)、警察の捜査手順や専門用語、全国各地の地名、あやゆる職業とその人の身なりや生活模様、これらのことが自然と身につきました。ただ、小説は最初から知識を得るために読むものではありません。後から振り返ると、いろんなことが身についたという感覚になるものです。
・知恵を得る。
1回目に読んだ本から、生きるための知恵がもらえることはあります。その知恵は自分の生き方を変える大きな変化のきっかけにもなり得ます。
そういった本のいいところは、再読した時にも得られるものがあるということです。
僕が最近好んで再読するものは、「人生の短さについて」セネカ、「自省録」マルクス・アウレリウス、「方丈記」鴨長明、「徒然草」兼好法師の4冊です。
セネカからは、人生の貴重さ。人のために貴重な時間を使っている暇はない。そんなことのために学生時代に熱心に勉強したのか。と、今を生きる力をもらえます。
マルクス・アウレリウスからは、皇帝でも悩んでいる。結局どこまで行っても悩んじゃうということ。
鴨長明からは、人の世のはかなさ。名誉も豪華な住居もお金も天災や人災であっさり無くなってしまうもの。
兼好法師からは、人間はいつの時代も変わらないということ。権力者といえども色欲と食欲に溺れることがあること。
読んでいくと、今自分がやっていることが本当に必要なことなのか?と考えさせられます。その結果、手放しても意外と大丈夫なものがたくさん出てくるはずです。本やDVDを売ったり、やっているゲームをやめたり、動画を見ることをやめたり、「いいものを買いたい」「人に良く見られたい」という欲求を捨てることができたり。
あれもこれも気になると、足し算ばかりで過ごして疲れている人。上記のような哲学や古典が、引き算をするきっかけになるかもしれません。
また、これらの本は、読む時期や自分の状況によって得られるものが違います。だからずっと参考になります。人間の悩みや不安は「名誉、お金、人間関係」がほぼ全てですから。
・文字から情報を得る訓練になり、学生であれば成績アップにつながる可能性がある。
親が「読書をしなさい」と言う最大の理由がこれでしょう。
例えば小説に書かれた人物像や景色を思い浮かべる。これは既にできている人には当たり前のことです。ですが、当たり前のように出来ない人も一定数いるのです。
文字からイメージが浮かぶ人は、同じように話し相手の見た目や言動から、今の感情を推しはかることができます。文字からイメージが浮かばない人は、話し相手がどれだけ怒ったり悲しんだりしていても、その気持ちが理解できないことが多いです。
余談ですが、読書に抵抗がない人は数学や理科、社会の問題に素早く正確に対応できます。本が読めないと、他の教科にも大きく影響します。
「文字からイメージを浮かべる訓練をすることで、実際に話し相手の気持ちが分かるようになる」
これが読書の効果の1つです。
・時間潰し、会話のネタになる。
小説の多くが当てはまります。
例えば2021年度に映画化された作品の中には「マスカレード・ナイト」東野圭吾、「護られなかった者たちへ」中山七里、「燃えよ剣」司馬遼太郎があります。映画を見てから原作小説が気になって手に取った人もいるでしょうし、原作は既読で映画を楽しんだ人、DVDレンタルや動画配信待ちの人もいるでしょう。「映画と原作の違い」が気になって、人と話すケースもあります。
いずれにしても、時間潰しになるし、人との会話のネタになります。「あの映画見た?」「あれ読んだ?」と、見た人読んだ人にとっては、話したくてしょうがないことです。
小説を読む理由は、何かを学ぶということではなく、その場の退屈しのぎの1つという側面があります。退屈しのぎという事でしたら別に小説でなくても、動画やゲームでもいいわけです。
ただ、「読書」が動画やゲームと違うのは、世間からのリスペクトが多少あるということです。僕は仕事が塾講師なので、損得を考えたら「読書」が最適な趣味になります。もちろん楽しんでしていますけどね。
・読書をしていて悲しいことも。意味がない本もある。
最後に、さっさ的意味がない本を紹介します。
「お金持ちがやっている習慣・勉強」という感じの本。
無意味です。なぜなら、この種類の本を20代の頃から読み尽くしている僕が、お金持ちになっていないからです。そもそも「お金への執着」は捨てることが正解。お金持ちかどうかは家系で決まっているところもありますので、僕みたいに一般的な家庭に生まれた人には、一切関係ありません。
既に実践していることもありますし、実際に取り入れたこともあります。しかし、ピンとこないものは継続できません。結局はやる気とか損得とか関係なしに続けられるものを、続けてやっていくことしかできないのです。
「速読」に関する本。
無意味です。なぜなら、この種類の本を20代の頃から読み尽くしている僕が、速読できるようになっていないからです。「1ページ1秒」という読み方は、人間には無理です。
ただ、参考になったことはあります。小説以外は全ての内容を読まなくてもいいです。先に目次を見て自分がピンときたところだけ読んで、「読んだ」ことにすればいいです。「なるほど」というポイントは人によって違います。ですから「全て読まなければいけない」というプレッシャーがある人は、取り去って大丈夫です。これだけで、読むスピードはグッと上がります。