エッセー

【エッセー】贅沢と病ならどちらを選びますか?

さっさ

私なら、贅沢に暮らすより病にかかるほうを選ぶだろう。病は肉体を損なうだけだが、贅沢は肉体と魂の両方を滅ぼすからだ。肉体には弱さと無能をもたらし、魂には自制の欠如と臆病さをもたらすのである。おまけに、贅沢は強欲の種でもあり、不正を生み出すものである。

ムソニウス・ルフス『清談』より

表記の人物は、古代の哲学者で、僕が好きなエピクテトスの師匠です。ストア派哲学(ストアは英語でストイック)という流派ですね。

悩ましい選択です。

贅沢もいいですよね。

お金がたくさんあって、何でも買えますし、何でもできます。でもよく考えると、僕には微妙ですね。着る服があって、食べ物にも困っていなくて、寝る家がある。衣食住に問題がないのなら、これ以上はもう必要ありません。パンツやくつ下は破れるまではきます。

自分の子供が「遊園地に行きたい」とか、「どうしても欲しいものがある」ということだったら、そのためのお金がないのは悔しいですけどね。でも自分のことはもういいです。

宝くじが当たった人は、たいてい数ヶ月で財産を失うといいます。失うどころか当選前よりひどい状態になります。知り合いが離れ、離婚もします。贅沢が悪夢に変わるのです。

病気はどうでしょうか。

風邪や発熱で数日休んだ後の元通りの生活って、何だか新鮮ですよね。いつも通っている道やいつも会っている人が、何だか違って見えてきます。

入院後の元通りの生活はもっと新鮮です。僕にはハンドボールの試合中にした腕の骨折での入院経験があります。復帰後の晴れやかさ、知り合いたちの「おかえり」という温かい雰囲気は今でも覚えています。

病気はかかっている時はしんどいです。ですが、復帰後には健康のありがたさを噛みしめて、しばらくは謙虚に過ごせるようになるものです。

がんの生存者なんかは口を揃えて「人生で最良の経験だった」と言います。不思議な話ですね。

僕は病を選びます。

贅沢は僕には耐えられないです。財産を手に入れた後に失う怖さと、財産をキープすべきプレッシャー。どう見ても自分の心の負けは確実です。

やっぱり物による幸せって長続きしないんですよね。最新のiPhoneを買っても1ヶ月で何も思わなくなります。高級車に乗っても3ヶ月で何も思わなくなります。豪華な家に住んでも1年で何も思わなくなるものです。僕にiPhoneの経験しかないのは内緒で(汗)。

スカイダイビングや月面旅行といった「経験の贅沢」も僕には微妙です。仮にするのなら1回でいいです。2回以上は望まないです。経験者の話がネットで見られるなら、ひょっとしたらそれでよくて、1回も経験しなくていいかもしれません。

病はきついです。きついですが、自分を振り返るいい機会なんですよね(もちろん死なない程度の病っていう前提で)。横になっていると、しんどくてスマホを触るのもきつくなります。そうすると目をつむって、これまでの自分のことや関わってきた人のことを考えるようになります。そして、回復後には謙虚と感謝が当たり前で、まるで聖人になれたかのような心地がするのです。

僕には横になって自信を振り返っている時が贅沢に思えるのですが、いかがでしょうか。毎日仕事で決められた時間に決められた場所に行き、同じようなことをして過ごしています。休日で動画もゲームも読書も、ひょっとして進めることばかりで、自分の中に落とし込む、振り返る時間がないんじゃないですか。

過去の自分を振り返って、今後の自分を作り上げる。これに頭を使っている時間が、本当の贅沢と言えるのではないでしょうか。

それでは、また。

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ABOUT ME
さっさ
さっさ
塾講師。読書家。
1982年生まれ。愛知県一宮市の塾講師。読書量は年間100冊以上。勉強のやり方、自己啓発や心理学、ビジネスや哲学関連は読み尽くし、現在は小説が中心。読了記録を書き残しています。参考になればうれしいです。
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