エッセー

【エッセー】「名古屋空港でのワクチン接種」

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さっさ

 「はい、少しチクッとしますよ」

 左肩に注射針が近付く。確かに少しだけチクッとした。キレイな女医さんに当たってラッキーだった。髪を真ん中から少しずらして結んでいて、僕好みのほどよい化粧具合。白衣を着ていて、知性を感じさせる声をしていた。どうして女医というのは魅力的に見えてしまうのだろう。そんなことを考えているうちに接種は終わった。出て係員に誘導される通りに進むと、窓際の椅子に座らされた。そこで十五分待たなければならない。ただ、そこから見える外の景色は、僕には非日常と言っていいもので、満足感があった。飛行機が二つ、小型ジェット機が三つ見える。最後に飛行機に乗ったのは、会社の社員旅行でグアムに行った時だと思い出したが、何年前だったかを考えるのはやめた。今の僕には特に意味はない。

 新型コロナウイルスが流行り出してから、一年半。高齢者と医療従事者からスタートしたワクチン接種の機会は、十二歳以上の一般人にも回ってきた。市からの郵送物の案内に従ってウェブ予約をするシステムだ。だが、近所の病院や施設は既にいっぱいだった。なんだよ、とがっかりしながらスマホをスクロールさせると、名古屋空港なら早めの日程で予約できるのを見つけた。自宅から車で四十分の所だから、そう遠くはない。副作用で翌日に発熱する人が多いと聞いているから、休みの前日に打つと決めていた。ただ、仕事の日に仕事以外のことで時間を取られることに戸惑った。でも仕方ない。

 椅子はいくつも並んでいて、その全てが窓の方を向いていた。僕を含めて二〇人くらい集まったところで、若い女性が前に立って何やら話し始めた。スマホは触ってもいいが通話はするな、喉が渇いたら後ろの自販機を使え、気分が悪くなったら手を挙げろ。これだけのことを言うだけなのに、「〜の方」「〜させて頂きます」の連発。言葉遣いを気にしすぎて、ひどく時間を取られていたように見えた。医大生か何かだろうか。まだ人前で話すことには慣れていないのが、ありありと伝わってきた。僕が塾講師になって最初に担当した教室。その教室でいちばん上の学年である、中三の授業風景が蘇ってきた。あの時は一つの教室に四十人の生徒がいた。授業の練習は重ねたつもりだったが、いざ始まってみると緊張で、目の前の十人くらいにしか、自分の声が届いていないような感じがしたのを思い出した。その時の生徒たちはもう三十歳を過ぎている。体験してみないと分からないものはいくつかあるが、「人前で話すこと」もその一つだろう。普段の会話ではペラペラ話せるのに、人前で話すとなると、同じ調子ではできないのは、よくあることだ。女性はなんとか話し終えると、一礼をしてその場を去った。

 僕よりも前にワクチン接種した知り合いに、接種後にその場で待たされることは聞いていたから、読みかけの東野圭吾の本を持っていった。周りを見回すと、八割がスマホ、一割が読書、一割が何もしていないといった感じだった。電車の中でもスマホを見ている人は多いが、一体何を見ているのだろう、そんなにじーっと見つめることってあるのだろうか、といつも思う。僕はスマホをほぼ卒業した。「ほぼ」というのは、何か調べたいことや興味があった時だけ時間をかけて眺める、ということにしているという意味だ。以前のように、オススメされるがままに眺め続けるのは、もうやめた。目や脳が疲れる割に、夜はよく眠れない。僕のスマホの印象はこんな感じだ。以前は何時間でも見ていることができたが、もはや僕にはスマホはうまく付き合える相手ではない。こちらが用がある時だけ取り出す。まるで甘えたい時だけ甘える多くの猫のよう。そんなスタイルで使っている。

 飛行機を眺めながらそんなことを考えていたら、指示された十五分はあっという間に過ぎた。持って来た本はほとんど読めなかった。渡されていた緑色の紙を出口の前の係員に渡すと、次回の予約が四週間後の同じ時間に自動的にされた。ファイザーだと三週間後と、届いた郵便物に書かれていたが、この会場はモデルナのワクチンだから四週間後。事前に仕事に影響のないタイミングを狙って予約できたのは幸運だった。二回目の接種ではほぼ高熱にうなされると聞いている。さあ、果たして。

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さっさ
さっさ
塾講師。読書家。
1982年生まれ。愛知県一宮市の塾講師。読書量は年間100冊以上。勉強のやり方、自己啓発や心理学、ビジネスや哲学関連は読み尽くし、現在は小説が中心。読了記録を書き残しています。参考になればうれしいです。
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