治療の記録

【怪我の記録】左腕を骨折するって、どんな感じなの?

さっさブログ 骨折
さっさ

さっさ自身の治療記録を公開するシリーズです。

今回は左前腕骨折編。

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中3の7月。ハンドボールの試合中に骨折しました。

中体連、愛知県西尾張大会1回戦。葉栗中vs大治中

「15-13」で残り時間1分30秒。(さっさ、その日は15点中10点の大活躍。生涯最高のパフォーマンスを見せた試合でした。)

これは勝ったと思いました。

そして、相手エースのシュートを止めようと飛んだ瞬間、激しい接触になりました。

着地は何気なく使った左手。

左前腕から「ポキッ」という音。

着地後、うつ伏せになって数秒。

左腕を見たら、関節が1つ増えているかのように曲がっていました。

試合の行方を見届けた後、母親の車で病院へ。

本部テント内で応急処置を受けながら、試合の行方を見守りました。

結果は「15-17」。ラスト90秒で4点も入れられ、逆転を許しました。

コート内で崩れ落ちる仲間たちを見て、その時は痛いのも忘れて、涙を流しました。

今こうやって思い出しても、涙腺が崩壊します。

市民病院で普通に診察券を出して、待合室へ。

今思えば、信じられません。

なぜ骨折したまま待ってたんだろう?さすがに急患でよくないですか?

恐怖のレントゲン撮影。折れた左腕を台の上に置く。

力が入らず、ずっと痛い中でのレントゲン撮影は地獄でしたね。

すぐには手術できず、応急処置のまま一晩を過ごしました。

着替えの時に、着ていたユニフォームをハサミで切ってしまったのが、印象的で覚えています。

「汗と思い出が染み込んだものを、あっさり切ってしまった」みたいな。

夜中に点滴が逆流、ナースコールを連打。

ふと目覚めると、点滴の管が真っ赤になっていました。

1回押せば、ナースステーションに伝わるのは知っていましたが、連打せずにはいられませんでした。

いよいよ手術室へ。家族とは今生の別れになるかのような気持ちでした。

担架で病室を出る時に、母親に見送られました。

命に関わる手術ではないのに、どこか遠いところに向かうような感覚でいましたね。

手術開始。青色のビニルシートで顔を覆われる。

そりゃ、見ることはできないですよね。

左脇から麻酔を3本注射。痛かったー。

脇に注射したこと、ありますか?

ただただ恐怖です。しかも3本。

それでやっと5本の指に麻酔が届くのだそうです。

オペ開始。3時間に及ぶ大手術。好きな曲のCDを流してくれました。

単純骨折で「骨折の中では幸せな方だ」と言われました。

しかし、手術は長時間に及びました。

当時、流行っていた、ジャミロクワイの曲を流してくれたのを覚えています。

何をしたのか?中に鉄の板を入れて、ネジで固定、上下合わせて32針。

「ガガガ、、、」と骨を削って、真っ直ぐにして、板で挟み、ネジで固定という感じ。

オペ終了。ギブスでガチガチの左腕。中身がどうなっているか全くわかりません。

直角に曲がった、ギブスでカッチカチの左腕。

退院後 お風呂に苦労しました。

服の着脱、シャンプー、体を洗う。全部面倒。

「やっぱり健康が一番」みたいな気持ち。

手術から1ヶ月後。恐怖のギブス外し。ノコギリが左腕に迫る!

「キュイーーーーーーーン」と勢いよく回るミニノコギリ。

看護師3人がかりで押さえつけられる、僕の体。

それでも逃げようと、もがく僕。

現れた左腕。アカまみれで、すっかり細くなっていました。

ギブスを外した後の左腕は、きゅうりみたいに細かったです。

また、ずっと直角にしていたので、しばらく肘を真っ直ぐに伸ばすことができませんでした。

1年後、今度は中に入れた板を外す手術をしました。

もう慣れたもので、サクッと終わりました。

この時の記憶はあまりないです。

38歳の現在も気になること。傷はいつ消えるの?

この時に切った傷跡、23年たった今でも消えません。

初対面の人は、これ見たら違和感しかないですよね。

当時のお医者さんは、「すぐに消えるよー」と言っていました。

お医者さんの言う「すぐ」というのは、一体…。

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ABOUT ME
さっさ
さっさ
塾講師。読書家。
1982年生まれ。愛知県一宮市の塾講師。読書量は年間100冊以上。勉強のやり方、自己啓発や心理学、ビジネスや哲学関連は読み尽くし、現在は小説が中心。読了記録を書き残しています。参考になればうれしいです。
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