【読了記録】街とその不確かな壁/村上春樹(本当の自分はどこに?)
どうも、さっさです。
村上春樹の小説『街とその不確かな壁』を読みました。
ネタバレ無しで振り返ります。
青字をタップすると、Amazonの商品ページに行けます。興味があれば、ぜひご覧ください。
読んだきっかけ
「村上春樹の小説は読んでみたいけど、なんか抵抗あるなあ」という自分からの脱却のためです。
だいぶ前に『色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読みました。
何かと冗長な表現とエロ。
これが村上春樹の作風だと受け取りました。
「話がなかなか進まない上に、エロで惹きつけてるだけやん」というのが最初の正直な印象で、引き込まれるとか面白いという感じにはなりませんでした。調べてみると、他の小説でもそんな感じのようです。
抵抗があると思うのは、長編の割に何がどうなる話でもない、という印象があるからです。
ミステリーみたいに犯人が誰で、実はこういう事情があって…という分かりやすい話では決してないのが、読みづらいと思ってしまっていました。
『色彩を〜』は、なぜ多崎つくるが仲間外れになったのか?という謎があったので、まだ読み切ることができました。
でも、続けて読んだ『1Q84』は途中でリタイア。『ノルウェイの森』もリタイア。どれだけ読んでも、僕にとっては何も起きていませんでした。
とまあ、やっぱり事件があって、誰が犯人で何が動機なのかって、作中の刑事と一緒に追いかけている方が性に合っていまして、村上春樹の小説は手を出していませんでした。
でも今回、6年ぶりの新刊。
自分の殻を破ろうと思って、発売情報が入り次第即ポチしました。
あらすじと感想
その街に行かなくてはならない。なにがあろうと――〈古い夢〉が奥まった書庫でひもとかれ、呼び覚まされるように、封印された“物語”が深く静かに動きだす。魂を揺さぶる純度100パーセントの村上ワールド。
Amazon商品ページより
17歳の僕と、16歳の君。
この2人が近づくんだか近づかないんだかのくだりを読んでいるうちに、高い壁に囲まれた不思議な街へ。
「僕」はそこで毎日図書館に通い、古い夢を読む<夢読み>をしています。
「君」は薬草茶を入れてくれて、仕事が終われば、僕は君を家まで送り届けます。
現実世界と不思議な街を行ったり来たり。
そのうち自分と影が引き剥がされて、2人の自分が登場。
通常は不思議な街に影の方がいるはずなのに、現実世界に影がいたり。
なんのこっちゃ?な淡々と続く村上ワールド。
不思議が不思議なまま、物語は600ページ以上続きます。
読み終えた後も決してスッキリしません。
こちらの世界と不思議な街。本人と影の生活を見ているうちに、こちらも不思議感に包まれていきます。
これは貴重な体験。
いつものミステリー小説なら、その良し悪しを簡単に述べることができます。
でも、村上ワールドは評価が難しい。
何か起きているようで、何も起きていない?
何も起きていないようで、何か起きている?
何回か出てくる「きっぱりと」は、「はっきりと」の方がしっくりくるのでは?
何回か出てくる「あっという間もなく」は、「あっという間に」でいいのでは?
本当の「僕」は今どこに?
作中の「僕」のことを考えつつ、そういえば今の自分も本当の自分なのだろうか?
こんな不思議な感覚が湧いてから、それが収まるどころか膨らみに膨らんで、物語は終焉を迎えます。
この感覚が面白いと言えるなら、村上ワールドは大歓迎でしょう。
僕は正直、「不思議っ!」という感覚のまま。
ミステリー小説では決して味わえないこの感覚が面白いとも言えますし、特にどうという物語でもなく頭の中がかき回されるだけ、と思えば面白くないと言えます。そういう感じ。
何がどうなる?という話ではありません。
キャラクターたちの振る舞いから、そういえば本当の自分って何なんだろう?と、いつの間にか考えさせられているような。
それが不思議な心地よさ。
そして少しの気持ち悪さ。
どこかの誰かの話を読んでいるうちに、実は重要な問いかけがされているような。
すぐに答えは出ないんだけれども、そしてこの先も答えが出そうにないんだけれども、いつのまにかそうやって考えること自体が意味のあることになっているのかもしれない。
意味があることなのかもしれないし、意味がないことなのかもしれない。
実は不思議な街にいる方の自分が本当の自分であって、今いる世界の方が影なのかもしれない。
それでもって実は不思議な街が現実の世界で、今いる世界の方が実在しないのかもしれない。
どうやったら不思議な街に行けるのだろう。
その街への行き方は分からない。
でも、確かに「僕」はその街に存在したことがある。
その街では毎日「君」に薬草茶を入れてもらい、図書館での仕事が終われば、「僕」は「君」を家まで送り届ける。
それ以上の関係には決してならない。
「君」への性的欲求が無いと言えば、嘘になるかもしれない。
でも、「君」が望まないのであれば、「僕」はじっとその時を待っている。
もしその時がやってくることがなくても、「僕」はいいのだけれども。
・・・。
と、僕も村上春樹みたいに、どっちつかずのことをダラダラ書いてみたりして(汗)。
この小説は、当初第一部のみが存在していました。
村上春樹がジャズの店を経営していた30代の頃に書き上げたものです。
書籍化していないことへの心残りがずっとあったそうです。
そしてコロナ禍に入り、70歳を過ぎます。
どこにも旅行せずに閉じこもって、第三部まで加筆して仕上げたのがこの小説ということです。
ですから、第一部が30代の頃、以降が70歳を過ぎてからの執筆ということになります。
タイトルにある「不確かな壁」に注目してみると、「新型コロナ」や「ロシア・ウクライナ問題」に見られる、人の間の壁。こういうものが想像できます。
ウイルス、マスクにどれだけ振り回されたことか。
ロシアはなぜウクライナ人を傷つけてまでクリミア半島を欲しがるのか。
本当の壁なんて実際は無くて、実は心の中にある境目、障壁と言っていいものに、我々は支配されてしまっているのではないか。
というようなことを、コロナ禍で閉じこもらざるをえない状況で、村上春樹はこの小説を書き上げたのではないかと思えるのです。
まとめ
いかがでしたか?
今回は村上春樹の小説『街とその不確かな壁』の読了記録でした。
長編小説ですが、意外とスムーズに読み切れたことに自分自身ホッとしました。
どっちつかずの冗長な表現とエロに振り回されながら、我が身を振り返る。
こんな経験ができるのは、村上春樹だけですね。
良し悪しは、人によるかもしれません。
スポーツカーがいいという人もいれば、別に、という人もいますよね。
それと似ています。
ただ、この世界観を1度良しと思えたら、その後は貴重な読書体験がずっとできることは間違いありません。
僕はこの小説、面白かったです。自分の殻を1つ破れたと思います。
正直、話としては何がどうなるわけでもないし、終わりもスッキリしません。
でも、こういう形もありなのではないか。
往年の村上ファンからは「何を今さら。遅いよ」なんて言われてしまいますね、きっと。
もしかすると、今なら『1Q84』や『ノルウェイの森』が読めるかもしれません。
最近読み始めた「教場」シリーズがひと段落したら、再チャレンジしようかな。
それでは、また。