【読書記録】異邦人/カミュ
「ペスト」があまりに印象的で、続けて読みました。
あらすじ
母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、理性や人間性の不合理を追求したカミュの代表作。
本書裏表紙より
この作品の場合は、↑に描かれていることがストーリーの全てです。
2部に分かれています。
第1部では母であるママンの葬儀、マリイとの情事、友人のレエモンやマソンとの絡みで人殺しをしてしまうところが描かれます。
第2部では刑務所、法廷での裁判の場面があって、死刑前日にムルソーの思考が描かれるのが最後の場面になります。
解説を除けば157ページしかないので、すぐに読めます。
感想
果たしてムルソーは変人なのか?
母の葬式の時に涙も見せず、棺を開けて母の顔を見ようとしませんでした。
翌日には以前職場にいたマリイという女性と海で泳いで、映画館に行き、肉体関係を持ちます。
知り合いの揉め事に首を突っ込み、拳銃で5発撃って人を殺します。
いずれの時にもムルソーは、「したいからそうしただけ」とでもいうように、行動に一切の感情や意味がありません。
仮にあったのだとしても、読者には分かりません。
普通は母が亡くなったら、しばらくショックで立ち直れないもの。
普通は母の死の翌日に、女遊びなんかはしないもの。
普通は銃で人を撃たないもの。
これらの普通がムルソーには違うのです。
作中ではムルソーの心境は全く分かりません。
彼の言動から、読者なりのムルソー像を作って、読者自身の価値観と照らし合わせるしかないのです。
「ペスト」の時にも思いましたが、この客観的な記録という感じのスタイルが、カミュの真骨頂なのでしょうか。
日本人では松本清張が近い。淡々と人々の言動が続いていく感じ。余計なことがないから、グイグイ読ませてきます。
話を戻すと、「普通とは何なのか?」という疑問にぶつかります。
母の死、女との情事、殺人。ムルソーは普通に動いていただけ。
でもそれが、一般的には普通じゃない。
となると「一般的とは?」とまた新たな疑問が湧いてきます。
こうやって考え続けていると、人間とは無意味な存在であって、明日死ぬのも、20年後に死ぬのも一緒。という感じで、僕は悟りました。
意味なんて元々ないからこそ、今日1日を、今、この瞬間を熱心に生きる。
こんな風に僕の頭の中は着地しました。
もし「自分はこう思う」ということがあったら、教えてください。
それでは、また。